先日は湘南台でレッスン。
いつものようにロングトーンで始めます。
最近、音がハッキリしてきた〇〇さん(大人・女性)。
ハッキリしてきたというのは、音色が明快だというよりも、本人の中で吹き方が明確になった感じです。
管楽器の難しいところって、
音(ドレミ)を変えるのと同時に、響きや音色も変わってしまうこと。
(運指(穴を塞ぐ箇所)を変えると、楽器の中の空気の通り道や、振動するところが変わり、音程(ドレミのこと)を変えられるだけでなく、質感も変わってしまう。)
これは、上手く利用すると表情豊かな演奏に繋がりますが、気をつけないと音階のバラつき(つまりピアノなら、このピアノって壊れてる?みたいな状態)になり、
曲が伝わりにくくなる原因にも。
〇〇さんも、最近
体や息を「ここに」、「このくらい」使う
が明確になってきているので、
今までより自然で、鮮やかな音階に聞こえてきています!
次のステップとして、
「このタイミングで」
も、わかるようになってもらうため、
いくつか例を挙げながらレガートの時の発音について説明をして、実践。
ついでに支えが向上し、リリースも大変良くなる
という効果が得られました!
…うーん、こういう話は、ココでは説明しにくい。笑
こういう、より感覚的なレッスンにすぐ反応してくれる生徒さんは、今後も向上していきそうで、こちらも楽しいです!
だけど、欲を言うと、
〇〇さんも、元々感じていたハズだと思うんです。
音の始まりが、いつもなんだかイマイチだということを。
反応できるということは、センスがあるということ。
生徒側に対応する器官がないと、先生側が何を教えても吸収できないハズだから。
ではなぜ、今までなんでそのままになっていたのか?
レッスンしながらふと、昨日のテレビに出ていた”ビッグボス”を思い出しました。
「練習を試合のようにやってほしい」
今話題の日ハム監督に就任した新庄剛さんの言葉。
その話してみると、偶然〇〇さんも、同じニュース見ていました!
これ、そっくりそのまま音楽にも言えるんですよね。
「本番のように練習しましょう」
という言葉、よく聞かれます。
そもそもスポーツ界でもよく言われることのようですね。
「練習だから」
「誰も聴いてないから恥ずかしくない」
「今日は体調が悪いから」
「どうせ自分はこの程度」
「今日は沢山練習して疲れてきたからしょうがない」
「さっきはできたから大丈夫ってことにして、次に行っちゃおう」
みたいな感覚、勿体ない!
っていうか、危険!!
危険、とまで言う理由は、
練習が「失敗するための練習」を重ねているのと同じになってしまっているから。
大袈裟じゃないですよ。
だって、イマイチな状態を繰り返しているんだから、
イマイチな音を出す方法を、体が勝手に覚えてしまいます。
「練習のための練習をしないで」
と新庄さんはおっしゃっていましたが、
「失敗するための練習をしないで」
とおんなじ意味だと思います。
…さて、書いているうちに熱くなって、なんだか厳しい雰囲気の文になってしまいましたが!?
いつもの大人向けレッスン通り、「熱心に・楽しく」終えました!
「新庄監督」の話以外にも、「座椅子」を例にお話して、二人で笑いました。
座椅子というワードで、何のレッスンをしたのか!?
リクエストがあれば書きますね。笑
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