レッスン事例no.6〈ビッグボスに倣え!?〉

先日は湘南台でレッスン。

いつものようにロングトーンで始めます。

最近、音がハッキリしてきた〇〇さん(大人・女性)。

ハッキリしてきたというのは、音色が明快だというよりも、本人の中で吹き方が明確になった感じです。

管楽器の難しいところって、

音(ドレミ)を変えるのと同時に、響きや音色も変わってしまうこと。

(運指(穴を塞ぐ箇所)を変えると、楽器の中の空気の通り道や、振動するところが変わり、音程(ドレミのこと)を変えられるだけでなく、質感も変わってしまう。)

これは、上手く利用すると表情豊かな演奏に繋がりますが、気をつけないと音階のバラつき(つまりピアノなら、このピアノって壊れてる?みたいな状態)になり、

曲が伝わりにくくなる原因にも。

〇〇さんも、最近

体や息を「ここに」、「このくらい」使う

が明確になってきているので、

今までより自然で、鮮やかな音階に聞こえてきています!

次のステップとして、

「このタイミングで」

も、わかるようになってもらうため、

いくつか例を挙げながらレガートの時の発音について説明をして、実践。

ついでに支えが向上し、リリースも大変良くなる

という効果が得られました!

…うーん、こういう話は、ココでは説明しにくい。笑

こういう、より感覚的なレッスンにすぐ反応してくれる生徒さんは、今後も向上していきそうで、こちらも楽しいです!

だけど、欲を言うと、

〇〇さんも、元々感じていたハズだと思うんです。

音の始まりが、いつもなんだかイマイチだということを。

反応できるということは、センスがあるということ。

生徒側に対応する器官がないと、先生側が何を教えても吸収できないハズだから。

ではなぜ、今までなんでそのままになっていたのか?

レッスンしながらふと、昨日のテレビに出ていた”ビッグボス”を思い出しました。

「練習を試合のようにやってほしい」

今話題の日ハム監督に就任した新庄剛さんの言葉。

その話してみると、偶然〇〇さんも、同じニュース見ていました!

これ、そっくりそのまま音楽にも言えるんですよね。

「本番のように練習しましょう」

という言葉、よく聞かれます。

そもそもスポーツ界でもよく言われることのようですね。

「練習だから」

「誰も聴いてないから恥ずかしくない」

「今日は体調が悪いから」

「どうせ自分はこの程度」

「今日は沢山練習して疲れてきたからしょうがない」

「さっきはできたから大丈夫ってことにして、次に行っちゃおう」

みたいな感覚、勿体ない!

っていうか、危険!!

危険、とまで言う理由は、

練習が「失敗するための練習」を重ねているのと同じになってしまっているから。

大袈裟じゃないですよ。

だって、イマイチな状態を繰り返しているんだから、

イマイチな音を出す方法を、体が勝手に覚えてしまいます。

「練習のための練習をしないで」

と新庄さんはおっしゃっていましたが、

「失敗するための練習をしないで」

とおんなじ意味だと思います。

…さて、書いているうちに熱くなって、なんだか厳しい雰囲気の文になってしまいましたが!?

いつもの大人向けレッスン通り、「熱心に・楽しく」終えました!

「新庄監督」の話以外にも、「座椅子」を例にお話して、二人で笑いました。

座椅子というワードで、何のレッスンをしたのか!?

リクエストがあれば書きますね。笑

コメント

タイトルとURLをコピーしました